第2巻 第2章『生活と家事』のその前に・・・

こんにちは。石田です。次の授業作りを考えるものの、初任者研修は何しろ範囲が広く、しかも奥が深い。深めれば深めるほど、現在地が分からなくなる...(+_+) なのに、探求してしまいたくなるのです。

そんな自分を受け入れながらも流しながら、それでいて毎回何かしらよく言えば進化⁉させております。

特に大事なところはZOOM(◎_◎;)で、そのためテキストから離れることもしばしば…。

この単元に入る前に必ず「不便な生活を考える」ワークをして頂きます。

 生活の中での「不便」とは?

どの意見も「確かに‼」と思えるものばかり。「NO 〇〇 NO LIFE」といったところでしょうか。

ここで『毎日読みたい365日の広告コピー』ライツ社さんの本からある企業のキャッチコピーを紹介しています。

〜当たり前の日常の”当たり前”はどこかで誰かがつくっている〜2013年 東京電業協会(ポスター)

この日常は「いつもの」「普段の」「毎日の」「日々の」「ふつうの」にも言い換えできるのではないかと思います。「いつもの」が「ではない」時に不便に感じるのではないでしょうか。いつもが「当たり前になっている」感覚です。その時にいろいろと不便を感じ、不満になったり、不快になったり、不安になったりするのではないかと思います。皆さんの「ふつう(普通)」は、不便になって改めてふつうの生活を感じるのではないでしょうか。

高齢者や障害のある方の生活のふつうは皆さんの「普通」ではないこと。「不通」であること、その生活のあらゆる場面を支援していくということ。その不通を「ふつう」につなげる一番身近な存在が介護の仕事に就かれる、特にヘルパーさんだとお伝えしています。

かなり以前、授業の中で先生が福祉を「つうにらすあわせ」と教えてくださいました。福祉とはと言われても全くイメージができないでいた私は、「なるほどっ! 先生すごい!(^^)!分かりやすい」と人一倍、感心しておりました。シンプルで記憶に残る、それが授業作りのベースになっているように思います。考えてみたら、ポスターを作るような感覚で作っているのかもしれません。

この日は、漢字の?国語の?哲学の?何の授業?なのかと思われるかもしれませんが、知識や技術だけでなくもっと大事なことを伝えたくていろいろな分野からの引っ張ってきています。

このワークでは最後に「当たり前=当然」の対義語を考えて頂いてゴールとしています。

しかしながら、授業作りにはゴールはありません(;^ω^)…。

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